前田又吉銅像記碑NA167 |
まえだまたきちどうぞうのきひ |
前田又吉(1830〜93)は大阪生まれの実業家。明治21年,河原町二条の京都府勧業場跡地を買収し,京都ホテルの前身である常盤ホテルを開業した。同ホテルは又吉の没後,同28年に買収され京都ホテルと改称。現在の京都ホテルオークラである。 いっぽう明治初年神戸花隈に料亭常盤花壇を創業,同6年に諏訪山(現神戸市中央区)の鉱泉に目をつけ,常盤花壇を諏訪山に移転した。そのため同地は温泉街として発展。神戸市内のレジャー施設になった。没後,北風正造ら神戸の有力者が又吉の銅像を諏訪山に建立し,その傍に由緒を記した碑を建てた。これが本碑である。銅像は戦時の金属供出に出され,この碑および又吉泉記碑(NA168)のみが残ったのを,京都ホテルが創業百周年の記念に譲り受け,1988年同ホテル構内に移築した。 |
所在地 | 中京区押小路通河原町東入南側(京都ホテルオークラ通用口前) |
位置座標 | 北緯35度00分43.6秒/東経135度46分11.4秒(世界測地系) |
建立年 | 1893年 |
建立者 | |
寸 法 | 高180×幅110cm |
碑 文 | |
[北] | |
前田又吉銅像記 | |
前田又吉銅像成焉其遺族某等来請曰又吉嘗受公知遇公過京 | |
摂輙館其家又吉事績公既詳悉敢願以文記之乃叙梗概曰余識 | |
又吉幾三十年又吉雖在市井頗暁大勢故其所経営往々出于人 | |
意之表曰開鉱泉曰賁公園曰設会館曰創義社咸得利用厚生之 | |
道矣唯其有之亦可以銘々曰 | |
神戸之郷 四時清和 海洋々兮 山峩々兮 又吉開荒 | |
泉出山阿 *供浴場 能痊沈痾 徳久誉長 千載不磨 | |
明治二十六年十月 伯爵 伊藤博文 撰(印)【朱文印「伊藤博文之章」】 | |
[東] | |
大阪石匠松原 | |
碑文の大意 | ここをクリック |
調 査 | 2012年5月16日 |
備 考 | 又吉泉記碑(NA168)と並び立つ/解説は京都ホテル編『京都ホテル100年ものがたり』(1988同ホテル刊)に拠る |
碑文中「*」字 |