長州人首塚碑

KI010

ちょうしゅうじんくびづかひ
首塚(0029129)副碑(0029130)

 元治元(1864)年7月19日禁門の変において,鷹司邸附近で戦死した長州藩士入江九一・原道太・半田門吉・奈須俊平・田村育蔵・緒方弥左衛門・小橋友之輔と無名の1人計8名を当時堺町御門警衛隊長であった越前藩桑山十蔵が主君松平春嶽(1828〜90)の許しを得て,越前藩菩提寺の上善寺に葬った。明治38(1905)年,旧長州藩主毛利家により塚周辺が整備された。この碑は長州人首塚を示すものである。

所在地北区鞍馬口通寺町東入北側(上善寺内)
位置座標北緯35度02分16.3秒/東経135度45分47.9秒(世界測地系)
位置座標
建立年(副碑)1907年
建立者
寸 法(正碑)高47×幅19×奥行19cm/(副碑)高98×幅120×奥行12cm
碑 文
[北]
長州人首塚
[西]
元治元年甲子七月十九日於
堺町御門御持場討
取者也
[副碑南]
上善寺境内長州人首塚碑
元治甲子之変越藩士与長藩士
戦於   皇城堺町門獲首八級越
藩軍務官桑山十蔵葬之於此建
石標之然経年所之久世人知者
太尠明治三十八年福井県人田
辺政之助偶見此塚報之毛利公
邸公聞之派人攷覈事実而得知
其姓名者七人曰贈正四位入江
九一曰贈従四位原道太曰贈正
五位半田門吉曰贈正五位奈須
俊平曰田村育蔵曰緒方弥左衛
門曰小橋友之輔其餘一人未有
所考公命修塚域寄祭資当寺永
祈冥福野衲謹記事由以*後人
   明治四十年九月
         上善寺見住載誉運外誌
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調 査2002年2月18日
備 考碑文は禁門変長州藩士殉難者塔(KA056)とほぼ同文


碑文中「*」字

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