長州人首塚碑 碑文の大意(副碑)
元治元(1864)年の蛤御門の変で越前藩士は長州藩士と御所の堺町御門で戦い,敵の首八級を獲た。越前藩軍務官桑山十蔵はその首をこの地に葬り石標を建てた。年月を経る間にこのことを知る者は少なくなった。明治38年,福井県人田辺政之助がたまたまこの塚を見つけ,毛利公爵に報告した。公爵はこのことを聞いて,人を派遣して調査させた。その姓名を知ることができたのは贈正四位入江九一,贈従四位原道太,贈正五位半田門吉,贈正五位奈須俊平,田村育蔵,緒方弥左衛門,小橋友之輔で,残る一人は未詳である。毛利公爵は塚を整備することを命じ,当寺に供養料を寄附され永く冥福を祈ることになった。わたくし(筆者上善寺住職載誉運外)はこの経緯を記して,後世の人に示すものである。