淀城故址HU114 |
よどじょうのこし |
淀城は,宇治・桂川合流点と木津川に挟まれた川中の島にあり,廃城となった伏見城に代り,京都警衛の拠点となった。元和9(1623)年松平定綱(1592〜1651)が最初の城主となり,享保8(1723)年稲葉正知(1685〜1729)が,下総佐倉より移封され明治維新に及ぶ。戊辰戦争時,幕府軍の宿泊所となり,慶応4(1868)年正月2日,この城から京都に向けて進軍した。5日には敗走の幕府軍の入城を拒んだ。この石標は淀城の跡を示すものである。なお,淀君が住んだ淀古城は別の場所であり,文禄4(1595)年廃城となった。 |
所在地 | 伏見区淀本町(淀城跡公園内) |
位置座標 | 北緯34度54分186.0秒/東経135度43分05.0秒(世界測地系) |
建立年 | 1928年 |
建立者 | 三宅安兵衛遺志 |
寸 法 | 高166×幅25×奥行24cm |
碑 文 | |
[北] | |
淀城之故址 | |
[西] | |
納所三丁 富之森■丁 | |
東北 | |
横大路廿丁 下鳥羽一里半 | |
[東] | |
水垂四丁 大下津三丁 | |
西北 北神足廿五丁 | |
山崎ステン所一里 長岡一里 | |
[南] | |
昭和三年春京都三宅安兵衛遺志建之 | |
調 査 | 2012年3月28日 |
備 考 | 與杼神社参道になかば埋没し立っていたが2006年?に碑文が全部読めるように建て直される/その後2011年ごろ原碑は現在地に移設された/現在西から唐人雁木旧趾(HU050)・淀小橋旧趾(HU076)・本碑の三基の碑が並んでいる |
位置図 | |