明智光秀首塚碑 ■■旧データ■■HI036 |
あけちみつひでくびづかのひ |
明智光秀(1528〜82)は,本能寺の変後,羽柴(豊臣)秀吉(1536〜98)と山崎に戦って敗れ,山科小栗栖で殺された。その首はこの地に埋められたと伝えられる。のちに五重石塔が作られ首塚として知られる。この石標は五輪塔のかたわらに建てられ明智光秀首塚の所在を示すものである。なお,本来の所在地については諸説がある。 |
所在地 | 東山区三条通白川橋下る東側 |
位置座標 | 北緯35度00分18.6秒/東経135度46分59.8秒(日本測地系) |
建立年 | 1903年 |
建立者 | 市川団蔵 |
寸 法 | 高80×幅56×奥行24cm |
碑 文 | |
[南] | |
長存寺殿明窓玄智大禅定門 | |
[北] | |
明治三十六年四月 市川団蔵建之 | |
調 査 | 2002年2月19日 |
備 考 | 関連して明智藪(HU008),明智光秀胴塚(YA063)がある |