明智光秀胴塚

YA063

あけちみつひでどうづか
石碑(0015283)石碑周辺(0018519)

 天正10(1582)年6月2日,明智光秀(1528〜82)は,本能寺で織田信長を討ち取った(本能寺の変)。その後,中国地方から引き返してきた羽柴(豊臣)秀吉(1536〜98)らと13日に山崎で戦ったが敗れた(山崎の戦い)。光秀は近江坂本に戻ろうとしたが,小栗栖で土民から襲撃され,明智藪で自刃したという。その際,首は介錯をした溝尾庄兵衛尉によって隠されたというが,持ち去られたともいい,首を埋葬したと伝える塚が,東山区三条通白川橋下るに所在している。一方,胴はここに埋められたと伝えられる。この石標は,この地に明智光秀の遺体(胴体)が埋葬されたと伝えられることを示している。

所在地山科区勧修寺御所内町
位置座標北緯34度57分22.0秒/東経135度48分36.2秒(世界測地系)
建立年1970年
建立者山本与一郎
寸 法高185×幅31×奥行20cm
碑 文
[南]
明智光秀之塚
[東]
 天正十年六月十三日
 昭和四十五年十月建之
     施主山科 山本与一郎
調 査2003年11月6日
備 考関連して明智光秀首塚碑(HI036)明智藪(HU008)あり

位置図
位置図

上へ

[HOME]