大石良雄遺髪塚碑

YA084

おおいしよしおいはつづかのひ
石碑(0027593)石碑周辺(0027594)

 播磨赤穂藩主浅野家の家老大石良雄(1659〜1703)は,江戸城内での刃傷沙汰で領地召し上げとなったため,縁戚で浅野家に仕える進藤源四郎の縁故により,進藤の出身地である山科に居を構えた。この石標は,大石の遺髪を埋めた塚に建て,その隠棲の跡を示すものである。

所在地山科区西野山桜ノ馬場町(岩屋寺内)
位置座標北緯34度58分10.0秒/東経135度47分46.5秒(世界測地系)
建立年安永4年
建立者宮部義正・上田正並
寸 法高88×直径34cm
碑 文
是故赤穂侯重臣大石良雄所
仮居之処也如其忠精先哲既
伝而膾炙人口不復贅焉嗚呼
百歳之下其人与骨皆已朽矣
雖則其人与骨皆已朽矣乎毎
履其地而思其人懍々如有生
気豈非其忠精所激名声不朽
者乎今也鐫石以誌焉顧当后
之過此者乃有涕以従焉矣銘
曰焦心飲胆薄言潜鋩死而不
死名姓永光建石者為誰武府
人孫八宮部義正同所恵五郎
上田正並書之者為誰伏水人
龍公美子玉也于時安永四年
乙未冬
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調 査2002年6月3日
備 考

位置図
位置図

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