大石良雄遺髪塚碑YA084 |
おおいしよしおいはつづかのひ |
播磨赤穂藩主浅野家の家老大石良雄(1659〜1703)は,江戸城内での刃傷沙汰で領地召し上げとなったため,縁戚で浅野家に仕える進藤源四郎の縁故により,進藤の出身地である山科に居を構えた。この石標は,大石の遺髪を埋めた塚に建て,その隠棲の跡を示すものである。 |
所在地 | 山科区西野山桜ノ馬場町(岩屋寺内) |
位置座標 | 北緯34度58分10.0秒/東経135度47分46.5秒(世界測地系) |
建立年 | 安永4年 |
建立者 | 宮部義正・上田正並 |
寸 法 | 高88×直径34cm |
碑 文 | |
是故赤穂侯重臣大石良雄所 | |
仮居之処也如其忠精先哲既 | |
伝而膾炙人口不復贅焉嗚呼 | |
百歳之下其人与骨皆已朽矣 | |
雖則其人与骨皆已朽矣乎毎 | |
履其地而思其人懍々如有生 | |
気豈非其忠精所激名声不朽 | |
者乎今也鐫石以誌焉顧当后 | |
之過此者乃有涕以従焉矣銘 | |
曰焦心飲胆薄言潜鋩死而不 | |
死名姓永光建石者為誰武府 | |
人孫八宮部義正同所恵五郎 | |
上田正並書之者為誰伏水人 | |
龍公美子玉也于時安永四年 | |
乙未冬 | |
碑文の大意 | ここをクリック |
調 査 | 2002年6月3日 |
備 考 |
位置図 | |