粟田口名号碑

YA083

あわたぐちみょうごうひ
石碑(0027621)石碑周辺(0027622)

 安祥院開基木食養阿(?〜1763)は,享保2(1717)年に京都の葬送地や刑場(六墓五三昧)に慰霊のため「南無阿弥陀仏」の名号碑を建立した。この碑はその一で,粟田口の刑場に立てたものであるが,のち遺棄され,昭和8(1933)年の国道改修工事の際に折れた上半部のみが出土し現在地に据え置かれた。昭和40(1965)年に下半部を補い復元されている。
 「木食養阿上人絵伝」(安祥院蔵)には「三条粟田口御仕置所は別而重罪超過の所なればとて,石塔も亦余所に過れて大サ壱丈三尺余」と記す。なお,北面下半部に西光院中興西隠の建碑と記すことは不詳。

所在地山科区日ノ岡朝田町
位置座標北緯34度59分52.8秒/東経135度47分51.9秒(世界測地系)
建立年享保2年
建立者木食養阿
寸 法高280×幅80cm
碑 文
[南]
南無阿弥陀仏
[北・上半部]
京津国道ニ於ケル犠牲者ノ為ニ
                        昭和八年三月
[北・下半部]
此名号石者京都市上京区仁
和寺街道御前通東入浄土宗
西光院中興開山西隠法師所
建立也法師憐於粟田口東刑
場刑死人々幽魂享保二年建
立于刑場側矣昭和八年際京
津国道改修被移于此地然下
半部缺損上半部亦三縦断老
衲深憂之発願其復元得有志
恊力茲工成修開眼法要以顕
彰西隠法師遺徳矣
   維時昭和四十年孟春之日
   浄土宗総本山知恩院第八
   十三世量誉信宏撰書
[西]
享保二丁酉七月
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調 査2005年10月14日
備 考

位置図
位置図

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