菖蒲谷池碑UK133 |
しょうぶだにいけのひ |
菖蒲谷池は右京区梅ヶ畑菖蒲谷にある人工の池である。この池は角倉了以(1554〜1614)の甥である吉田光長・光由の二人が寛永年間(1624〜44)に了以と大覚寺法親王の遺志を継いで造ったものである。菖蒲谷池から北嵯峨へは「角倉隧道」と呼ばれるトンネルが同時に掘られ,北嵯峨一帯の田畑を潤したという。この碑は菖蒲谷池と角倉隧道築造の経緯を記し,当事者を顕彰するものである。 |
所在地 | 右京区北嵯峨北ノ段町(北嵯峨会議所内) |
位置座標 | 北緯35度01分51.2秒/東経135度40分41.8秒(世界測地系) |
建立年 | 1890年 |
建立者 | 旧北嵯峨村有志 |
寸 法 | 高142×幅76cm |
碑 文 | |
[東] | |
菖蒲谷池碑 | |
従三位勲三等北垣国道書 | |
[西] | |
菖蒲谷池大覚寺法親王使嵯峨人吉田了以姪光長光由築 | |
也了以善水利疏保津河鑿高瀬以通舟筏大興漕運之利事 | |
詳羅山林先生大悲閣之碑嘗与親王謀欲池於菖蒲谷不果 | |
歿寛永之初二子紹其志築堤以蓄水下穿長尾山腹漑田幾 | |
及四十町北嵯峨到于今不被旱害者親王与吉田氏之賜也 | |
有志者恐其遺沢或久而泯乎無知謀勒石以*後人明治二 | |
十三年庚寅十一月之吉豊後日出処士宇津憲章撰 | |
銘曰 | |
立言済世 未必博施 以財与人 恵止一時 | |
水利攸及 爰罔窮期 嗚#遺沢 永瞻斯碑 | |
発起 長浜勘兵衛 | |
人 建之 | |
有志 地主旧北嵯峨村中 | |
碑文の大意 | ここをクリック |
調 査 | 2008年5月22日 |
備 考 |
碑文中「*」字 | |
碑文中「#」字 |
位置図 | |