菖蒲谷池碑 碑文の大意
 菖蒲谷池は大覚寺法親王が嵯峨の人吉田(角倉)了以の甥光長・光由に築造させた池である。了以は河川工事が得意で,保津川を筏が通れるようにし,また高瀬川を掘り舟を運航させ,大いに運漕の便を開いた。このことは林羅山先生が書いた大悲閣の碑に詳しい。  了以は,かつて大覚寺法親王と相談し,菖蒲谷に水利池を造ることを計画したが,実現することなく没した。光長・光由の二人は遺志を引き継いで,堤防を築き水をため,長尾山の下にトンネルを掘って北嵯峨の田畑四十町以上を潤した。北嵯峨の田畑が現在に到るまで旱魃の害を被ることがなかったのは,親王と吉田氏の人々のたまものである。今回これらの事跡が後世に伝わるようにと,村内の有志が石碑の建立を計画した次第である。