角倉了以像副碑UK131 |
すみのくらりょういぞうふくひ |
慶長11(1606)年に大堰川の舟運を開いた角倉了以(1554〜1614)を記念し,大正元年に大堰川に臨むこの地に銅像が建立された。明治35年に了以の功績を顕彰する了以会が結成され,当初は了以を祭神とする神社建立を計画したが挫折。その後明治40年の贈位(正五位)を機に銅像建設が薦められた。この碑は銅像の建立の経緯を記したものである。なお銅像は第二次世界大戦中の金属供出で撤去されたが,昭和63年に有志により再建された。供出前の像(平野市兵衛作)と再建された像(柴田篤男作)の写真はここ。 |
所在地 | 右京区嵯峨亀ノ尾町(亀山公園内) |
位置座標 | 北緯35度00分51.5秒/東経135度40分20.3秒(世界測地系) |
建立年 | 1912年 |
建立者 | 了以会 |
寸 法 | 高120×幅190×奥行30cm |
碑 文 | |
[南東] | |
是贈正五位角倉了以翁之像也同志諸 | |
氏深欽翁功業興了以会欲益顕彰其事 | |
模大悲閣所安木製坐像改為立像以青 | |
銅鋳造既成威厳如生建之於亀山亀山 | |
與嵐山相対大堰川劃中間而流乃翁偉 | |
事之所在知翁霊*然来格在此間也嚮 | |
京都市欽北垣知事琵琶湖疏水工事鋳 | |
銅像建疏水之浜以表其偉業今與此像 | |
東西相併永伝功績可遺雙美矣因記其 | |
事且係以銘曰 | |
神工鬼鑿 刳壑行舟 水利偉勲 | |
自古少儔 峨山高聳 堰川長流 | |
功徳不竭 萬歳千秋 | |
大正元年十月十二日 | |
京都府知事正三位勲一等大森鍾一 | |
[北西] | |
会長 鷹司煕通 | |
副会長 内貴甚三郎 | |
幹事長 中井三郎兵衛 | |
幹事 | |
井上與一郎 | |
伊藤重三郎 | |
兼田義路 | |
河原林義雄 | |
秋田彌三郎 | |
小林吉明 | |
角倉玄親 | |
三谷廣三郎 | |
評議員 | |
男爵 北垣國道 | |
大森鍾一 | |
高崎親章 | |
飯田新七 | |
林 長次郎 | |
西村治兵衛 | |
奥 繁三郎 | |
風間八左衛門 | |
柿沼鉉太郎 | |
田中源太郎 | |
辻 忠郎兵衛 | |
内貴清兵衛 | |
野尻岩次郎 | |
山田親良 | |
寺崎新策 | |
青木磐雄 | |
雨森菊太郎 | |
有吉三七 | |
櫻井丈太郎 | |
木下廣次 | |
岸田豊久 | |
皆川 惇 | |
荘林維新 | |
柴田彌兵衛 | |
大正壬子十月吾了以会事業 | |
告成乃刻職員氏名於碑陰其 | |
評議員創立以来長従事者也 | |
了以会 | |
芳村茂右衛門刻 | |
碑文の大意 | ここをクリック |
調 査 | 2008年2月1日 |
備 考 | 建設の経緯および供出前の像の写真は了以会編『贈正五位角倉了以翁銅像建設報告書』(1915年了以会刊)による |
碑文中「*」字 |
位置図 | |