所在地 | 右京区鳴滝宅間町(周山街道三宝寺橋南詰) |
位置座標 | 北緯35度01分56.2秒/東経135度42分11.0秒(世界測地系) |
建立年 | 延宝7年 |
建立者 | 三宅高信 |
寸 法 | 高94×幅46×奥行21cm |
碑 文 | |
| [南] |
| 宅間澄賀曽為絵所歴法橋叙法眼故世称宅間法眼常信慕明恵上 |
| 人而来往栂尾于時春日住吉二神屡降臨親聴明恵之法要然明恵 |
| 之外無見尊容者宅間請上人曰願写尊形以為衆生修結縁上人曰 |
| 凡眼直拝神容則恐殞命宅間曰雖死不敢悔矣神亦憐其志暫示現 |
| 宅間不堪歓喜則敬而拝写之今栂尾二神之尊像是也宅間之志願 |
| 已遂矣喜帰京師於茲誤堕馬而斃矣嗚呼痛哉夫神之霊験挙而不 |
| 論之宅間雖末芸者其有志家業也深哉誠殺身以成仁之一端乎時 |
| 人憐之建石碑於茲地矣其後年久遠陵谷変遷建碑既絶人亦無知 |
| 其蹟者当今歎名蹟蕪没再建一箇片石聊記其大概云爾 |
| 延宝七己未年七月三日 画工三宅陽心高信建 |
碑文の大意 | ここをクリック |
調 査 | 2009年2月10日 |
備 考 | 碑文は風化して読みがたい部分が多いので『京都名家墳墓録』に収めるものに拠った/『改訂史籍集覧』雑および『古事類苑』文学部に収める碑文には「宅間澄賀」を「宅間勝賀」と記すが原碑は不分明/また末行「七月三日」を「十月三日」(類苑)「九月日」(集覧)とする |