宅間勝賀塚碑 碑文の大意 |
宅間澄賀(勝賀)は絵所の役に任じられ,法橋を経て法眼に叙せられた。このため世間では宅間法眼と呼んだ。栂尾高山寺の明恵上人に帰依し京と栂尾を行き来していた。 この時,春日と住吉の神が降臨し,明恵上人の法要を聴聞することがよくあった。しかし二神の姿を見ることができたのは明恵上人だけであった。宅間は衆生のために二神の姿を絵に写したいと上人に懇請した。常人が神の姿をみれば死ぬかもしれぬと上人がおっしゃったが,宅間はそれでもかまいませんとお願いした。二神もその志に感じ宅間の前に姿をあらわした。宅間は喜び二神の姿を拝写た。いま栂尾高山寺にある二神の像がこれである。 宅間は志を果たした喜びにあふれて京への帰途をたどったが,この地であやまって馬から落ち命を落とした。痛ましいことである。これが二神のたたりかどうかはわからないが,宅間は一介の絵師であったが,その仕事にかける情熱は深いものがあった。身を殺して仁を成したと言ってよいだろう。 没後この地に石碑が建てられたが,年がたち地形も変り碑もなくなり,知る人もいなくなった。そこでここに石碑を建立する次第である。 |