法眼宅間勝賀終焉地

UK023

ほうげんたくましょうがしゅうえんのち
石碑(0007605)石碑周辺(0007609)

 絵仏師宅間勝賀(生没年未詳)は宅間派の祖為遠の子。嘉応元(1169)年頃より承元3(1209)年頃まで神護寺・東寺の仏像制作等に携わった。栂尾高山寺の明恵上人(1173〜1232)を信仰していたといわれ,上人が擁護していた春日・住吉社の神相を筆写したところ,神罰があたり,帰途落馬してこの地で没したという。この石標は宅間塚とよばれるその終焉地を示したものである。

所在地右京区鳴滝宅間町(周山街道三宝寺橋南詰)
位置座標北緯35度01分56.3秒/東経135度42分11.0秒(世界測地系)
建立年
建立者
寸 法高107×幅17×奥行14cm
碑 文
[南東]
法眼宅間勝賀終焉地
調 査2002年2月19日
備 考この石標の奥に宅間塚および宅間勝賀塚碑(UK100)がある

位置図
位置図

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