尚徳中学校の碑SI061 |
しょうとくちゅうがっこうのひ |
この地には明治2(1869)年に下京十六番組小学校が開校し,のち尚徳小学校と改められた。戦後は尚徳中学校となったが,平成19年3月に下京中学校に統合された。この碑は尚徳中学校を記念するものである。 |
所在地 | 下京区鍵屋町通室町西入(下京中学校前) |
位置座標 | 北緯34度59分42.0秒/東経135度45分26.9秒(世界測地系) |
建立年 | (2007年カ) |
建立者 | |
寸 法 | 高35×幅80×奥行61cm |
碑 文 | |
[南] | |
(校章)尚徳中学校の碑 | |
尚徳中学校の歴史は 明治の初め | |
進取の気風にあふれる先人の力により | |
下京第十六番組小学校がこの地に設置 | |
された明治二年七月二十六日に遡る | |
その後 明治五年に下京第二十四区 | |
小学校 明治八年に新楊小学校 明治 | |
十年に尚徳小学校 明治四十一年に尚徳 | |
尋常小学校 昭和十六年に尚徳国民学校 | |
と改称 | |
そして 新制中学校令により昭和 | |
二十二年五月五日 尚徳国民学校を | |
転用し京都市立尚徳中学校が開校 | |
尚徳中学校は 郁文中学校 成徳 | |
中学校 皆山中学校 梅逕中学校との | |
統合による下京中学校開校をもって | |
平成十九年三月にその輝かしい歴史と | |
伝統に幕を閉じる | |
なお 校名の「尚徳」は論語憲問篇 | |
「君子哉若人 尚徳哉若人」に由来する | |
調 査 | 2008年2月14日 |
備 考 | 明治天皇行幸所下京第二十四組小学校(SI041)と並び立つ |