鈴屋大人寓講学旧地

SI002

すずのやのうしぐうこうがくのきゅうち
石碑(0027826) 石碑周辺(0027827)

 国学者本居宣長(1730〜1801)は国学四大人の一人で鈴屋と号した。二十代で京都へ留学したことがあるが,この石標は,最晩年の享和元(1801)年に出京し,京都在住の門人に講義を行った寓居を示すものである。この時には「四条大路の南づらの,烏丸のひむかしなる所」(『玉勝間』巻十三)の貸座敷(借間)に滞在した。享和元年4月1日付稲掛大平・本居春庭宛書簡に附された貸座敷の間取図によれば「四条通東洞院西へ入南側」の「枡屋五郎兵衛かし座敷」であった。
 なお,この石標を旧データでは宣長二十代の京都留学に関したものだとしていたが,これは誤り。

所在地下京区烏丸通四条下る東側
位置座標北緯35度00分11.8秒/東経135度45分35.4秒(世界測地系)
建立年1913年
建立者山上忠麿
寸 法高71×幅21×奥行21cm
碑 文
[西]
鈴屋大人偶講学旧地【「偶」字原碑のママ】
[南]
大正二年六月九日■■
[東]
山上忠麿建之
[北]
従五位多村和興書
調 査2008年3月25日
備 考この碑は旧三菱銀行京都支店の駐車場の隅(ほぼ現在の位置)に建っていたが,ビルの建替え工事が行われ,京都ダイヤビルが2007年秋に完成したあとはビル敷地西南隅の現在地に移設された。旧データは移設前のものである

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