所在地 | 左京区下鴨宮崎町(下鴨小学校内) |
位置座標 | 北緯35度02分12.5秒/東経135度46分05.8秒(世界測地系) |
建立年 | 1893年 |
建立者 | 下鴨村農会 |
寸 法 | 高約170×幅90×奥20cm |
碑 文 | |
| [北] |
| 水路開鑿碑【篆額】 |
| 蓼倉郷在于愛宕郡下鴨村東部其田十有八町餘歩土地高燥 |
| 缺灌漑之便故養田之水與修学院田中松崎三村偕較其収獲 |
| 之穀数而分引高埜川之水以養秧田自昔然矣而蓼倉郷水路 |
| 在最下方経松崎村而流来是以七八月之間天少旱忽失灌漑 |
| 之便旱魃為虐田面亀裂青苗萎凋村民憂歎立視其枯死而已 |
| 於茲浅井平左衛門小松弥左衛門村上定祥宮崎又右衛門宮 |
| 崎弥兵衛小松久左衛門西野顕繁松永平兵衛等相謀新開水 |
| 路引修学院村音羽瀑布之下流以便此郷之灌漑将救其枯渇 |
| 矣明治十二年五月就其村民反覆論辨得其和調遂請官准而 |
| 起工閲一年竣功嗚呼諸氏労其身焦其思遂使無旱魃之患其 |
| 功可不称哉因立石勒其事以貽後代欲使村民益勉于耕稼也 |
| 耳 |
| 撰文者林正躬 下田伊明篆額并書 |
| [南] |
| 明治廿六年四月十五日下鴨村農会建之 |
碑文の大意 | ここをクリック |
調 査 | 2014年11月13日 |
備 考 | 関係史料に「蓼倉郷新井路開設日記」(京都市歴史資料館蔵「古舘三徳氏旧蔵文書」)がある/小松明「明治十二年の『水路開鑿碑』から想いを馳せる」(『賀茂文化』5号,2008年)によれば,この碑は「東の塚(寄合塚,呼寄塚)と呼ばれていた古墳の横(現在の京都市バス高木町バス停付近)」に建てられ,昭和5年に下鴨尋常小学校(現視力障害福祉センター)に移され,昭和12年に同校移転にともない現在地へ再移設された/同書によれば碑文撰者林正躬は京都府立中学の国語漢学教員 |