幡枝切通碑

SA225

はたえだきりとおしひ
石碑(0027794)石碑周辺(0027795)

 愛宕郡深泥池村から鞍馬方面への近道は幡枝切通しと呼ばれ,夏のわき水,冬の凍結に往来の人は苦しんでいた。そこで深泥池村の炭売り吉三郎が主導して,貞享2(1685)年に整備された。この顛末を圓通寺の僧性通が記した碑である。

所在地左京区岩倉幡枝町(圓通寺前)
位置座標北緯35度03分51.0秒/東経135度46分03.0秒(世界測地系)
建立年貞享2年
建立者釈性通
寸 法高148×幅77×奥行21cm
碑 文
[北西]
山城州愛宕郡御泥池者旧隷賀茂之地也去村不遠而有数十歩高坂両峰角立僅容疋馬振古称通」
衢者桧木峠是也然里人懲其迂遠近世鑿開此山呼曰切通爾来取道於鞍馬者無貴無賎靡不由於」
此蓋為此坂也山不高而石出地不卑而水涌樹林陰翳盛夏無乾若夫朔風屡至堅氷忽結則石巌之」
崛起牛馬為之顛躓泥塗之凝滑男女到此跌*可謂此土之小蜀路也時有買炭夫名吉三郎世住御」
泥池性好修善帰心浄邦生計枯淡家無#石之儲雖風雨雨霜自負馬駄往来于此者数十年矣啖辛」
喫苦不知其幾許常謂若力足則我夷此嶮途也雖然未能果其宿志今茲貞享乙丑之夏密語同村生」
次郎右衛門勘三郎者二人乃戮力丐助資於邑人於是遠近小民展転随喜共捨銭布鳩石工及傭夫」
$去石巌芟%荊棘或左右決溝或運土鋪湿幡枝至下賀茂其途蕩蕩而来往永免嶮渋之患若是挙」
者設雖諸州之牧伯所為難也然微眇一夫起志而終全其功彼列禦冦所謂北山愚公孀妻弱子之説」
蓋不誣乎哉予従入此山星霜既久矣行路難実能知之是故毎経過此地必詣村之地蔵堂黙祷是事」
嗚呼向之所艱今也則安因是観之則時縁之冥合願王其有感乎可以嘉尚焉方今闔国建一堂一塔」
以為有功徳者比々皆爾雖然二三子之於事何啻一郷一時之幸而已抑後世不朽之殊勲也予歓喜」
之余立石記其事且刻地蔵尊於石上以備四方之瞻礼焉冀乎見聞之徒相与随喜閭巷之聞各行一」
善千載之下豈少益乎哉
   貞享第二歳次丁丑臘月良辰                           寓居   円通性通立焉
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調 査2008年3月1日
備 考碑文の上部につるはしを持った僧形が彫られている


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位置図
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