幡枝切通碑 碑文の大意 |
山城国愛宕郡御泥池村から鞍馬方面へ行くのには檜木峠を経て遠回りしなければならなかった。近道には両側に山が切り立ち,急坂を馬がやっと通れる程度の道しかなかった。近年村人はこの山あいを切り開き道を造り,切り通しと呼ぶようになった。この道は高い山でもないのに石が突き出て,低い土地でもないのに水が湧き出ていた。木に覆われて夏にも乾くことなく、冬にはしばしば凍結し、人も牛馬もすべって倒れることが多く、中国でいう蜀の桟道に匹敵するような難路であった。 時に炭売りを業とした吉三郎という者が御泥池村にいた。この道を往復すること数十年,常に道を改修することを考えていた。貞享2年の夏,同村の次郎右衛門・勘三郎と改修工事を発起した。人々の助力によりついに完成し,永く難路の苦労を免れることになった。難しい工事を一介の庶民が成し遂げたことは偉大なことである。わたし(碑文の作者性通)は感嘆のあまりその顛末を石碑に刻むものである。 |