吉田松陰拝闕詩碑SA155 |
よしだしょういんはいけつしひ |
この碑は吉田松陰(1830〜59)自作自筆の詩を刻し,松陰の五十回忌にあたる明治41年(1908)に京都府教育会が建立した。松陰の勤王思想を表すとして著名な詩である。 松陰の詩は,その著『長崎紀行』によれば,江戸から長崎への途次,嘉永6(1853)年10月2日に京都御所を拝した時の作。ただし紀行に収める詩とこの碑の詩には大きな文字の異同がある。ほかにも異本が多い。刻まれた詩の原本は,松陰が安政3(1856)年に山県有稔(有朋の父)のために旧作を揮毫したもので,明治15年,山県有朋の斡旋で皇室に献納され御物となった。 碑の向って右(西側)には高155×幅18×奥行18cmの詩碑の所在を示す角柱石標がある。この碑は図書館前庭の東南端に建立されたが,平成13年に完成した京都府立図書館の改築にともない現地に移された。 |
所在地 | 左京区岡崎成勝寺町(京都府立図書館内) |
位置座標 | 北緯35度00分45.5秒/東経135度46分56.1秒(世界測地系) |
建立年 | 1908年 |
建立者 | 京都府教育会 |
寸 法 | 高350×幅190×奥行19cm |
碑 文 | |
[北] | |
山河襟帯自然城東来無不日憶 神 京今朝盥嗽拝 鳳闕野人悲泣 | |
不能行 上林零落非復昔空有山河無変更聞説 今皇聖明徳 | |
敬天憐民発至誠鶏鳴乃起親斎戒祈掃妖氛致太平 従来 英皇不 | |
世出悠々失機今公卿安得 天詔勅六師坐使 皇威被八紘人 | |
生若萍無定在何日重拝 天日明 | |
右癸丑十月朔日奉拝 鳳闕粛然賦之時余将西走入海 | |
丙辰季夏 二十一回藤寅手録(印)(印)【朱文印「矩方」白文印「子義氏」】 | |
[南] | |
是先師松陰吉田先生嘉永癸丑十月朔過京都拝 | |
禁闕詩真蹟也初先師為山縣公爵厳父有稔翁書之 | |
翁以伝公爵公爵謂是先師精神之所鍾豈蔵之私家 | |
乎因献於御府焉今茲戊申十月丁先生五十年忌辰 | |
奏請得允撮影以頒同志者京都府教育会員相謀勒 | |
諸石会長大森知府属余記其由乃叙其梗概云 | |
明治四十一年十月 | |
従二位勲一等子爵野村 靖撰 | |
正三位勲一等男爵野村素介書 | |
芳村茂承鐫 | |
[石標北] | |
山河 | |
吉田松陰先生 詩碑 | |
襟帯 | |
[石標西] | |
尊攘堂創立五十周年記念 | |
[石標東] | |
此境内ニ在リ | |
[石標南] | |
昭和十二年孟春 尊攘堂委員建 | |
碑文の大意 | ここをクリック |
調 査 | 2008年1月31日 |
備 考 |
位置図 | |