御所谷碑SA048 |
ごしょだにのひ |
延元元(1336)年正月,後醍醐天皇(1288〜1339)が足利尊氏(1305〜58)の軍勢を避け,二万余騎の勢を従えて八瀬坂を通り比叡山に登ったと伝えられる。この石碑は,その際,八瀬の村民が天皇を守護したことを記念するものである。 |
所在地 | 左京区八瀬秋元町(八瀬天満宮裏) |
位置座標 | 北緯35度04分45.7秒/東経135度49分13.9秒(世界測地系) |
建立年 | 1893年 |
建立者 | (八瀬村民) |
寸 法 | 高140×幅62×奥行32cm |
碑 文 | |
[南] | |
御所谷碑【篆額】 | |
山城国愛宕郡八瀬村御所谷有山王祠与氏神社 | |
相距二町餘而為其摂社 | |
後醍醐天皇延元元年正月足利尊氏入犯官軍防 | |
戦不克将幸比叡山避其鋒取途于八瀬駐蹕此祠 | |
待官軍之聚村人防禦護 駕達延暦寺 勅復其 | |
租以賞焉後称其地曰御所谷云八瀬在比叡山下 | |
距京師二里村人労王事久矣 歴朝行幸充駕輿 | |
丁至今為例明治十一年京都府令移山王祠于氏 | |
神社側於是其地荒蕪不修村人恐歳月之久遂失 | |
其跡胥謀建碑表之請文余余謂駐蹕之事史乗不 | |
載然其事確実有拠可信因叙其概略係以銘銘曰 | |
谷曰御所 龍駕駐蹕 | |
歳月既久 民沐遺沢 | |
維石峨峨 斯表旧蹟 | |
明治廿六年八月 | |
大勲位晃親王篆額 | |
主殿助正五位勲四等宇田淵撰文 | |
京都府属巌本範治謹書 | |
[西] | |
発起人 | |
■■■■【この行剥落して不可読】 | |
外 六名 | |
[東] | |
白川橋三条下ル | |
工 石重 | |
碑文の大意 | ここをクリック |
調 査 | 2002年2月15日 |
備 考 |
位置図 | |