御所谷碑 碑文の大意
 山城国愛宕郡八瀬村御所谷に山王社があった。村の氏神八瀬天満宮と二町を隔て,その摂社である。延元元後醍醐天皇の代,延元元(1336)年正月に足利尊氏が京都へ侵入した。官軍は防戦に失敗し,天皇は比叡山延暦寺に避難しようと,八瀬を経由しこの社の地で味方の集合を待った。八瀬の村人は天皇の乗物を警護し無事延暦寺に到着した。この功績により八瀬村は年貢免除の特権を与えられた。村人はこの地を御所谷と呼んだという。
 八瀬の村は比叡山のふもとにあり,京都から二里離れている。村人は久しく天皇家に仕え,歴代天皇の行幸の時には乗り物をかつぐ駕輿丁を勤め,現在もなお続けられている。
 明治11(1878)年,京都府は山王社を八瀬天満宮のそばに移転させた。村人はこのことで御所谷の地が荒れ果て,史跡が忘れられることを恐れ石碑を建てることを計画した。わたし(筆者宇田淵)は碑文を頼まれ,後醍醐天皇が御所谷の地にしばし休憩されたことは歴史の書物には見えない。しかし確かなことだと信じられるので筆を取る次第である。