大楠公戦陣蹟

SA003

だいなんこうせんじんあと
石碑(0029317)石碑周辺(0029318)

 『太平記』によると,建武3(1336)年正月,楠木正成(?〜1336)勢と足利尊氏(1305〜58)勢がこの地で対陣し,正成が足利軍勢を追撃したとされる。この石標は楠木正成陣所の跡を示すものである。

所在地左京区一乗寺花ノ木町
位置座標北緯35度02分37.4秒/東経135度47分36.8秒(世界測地系)
建立年1945年
建立者大楠公下松戦蹟顕揚会
寸 法(正碑)高248×幅128×奥行48cm/(副碑)高134×幅65×奥行10cm
碑 文
[正碑北]
大楠公戦陣蹟
            蘇峯   菅原正敬   八十三
[正碑南]
昭和二十年五月二十五日建之
[副碑東]
建武三年正月足利尊氏兵八十万を率ゐて来寇す官軍之
を邀へ廿七日を期して京に決戦せむとす乃ち前宵楠木
結城伯耆の諸将其勢三千餘騎叡山を西に降りて下松に
陣し明くる遅しと進み撃ち一挙にして賊徒を西海に却
け了んぬこれ多くは楠公神策の然らしめし所太平記の
著者も楠木は元来勇気無双の上智謀第一と讃歎せりし
かれとも我か国悠久三千年必すしも文武智勇の人に乏
しかりきとせすしかも楠公に貴き所以は其智勇常に天
皇に帰一し奉りしに在りかゝる楠公精神こそ以て新に
樹立すへき産業日本の指針たるへく又以て永く興隆す
へき平和日本の標幟たるへし即ち斯に陪碑して公の徳
を謳はむとする所以なり
[副碑西]
昭和廿年十一月建之
      大楠公下松戦蹟顕揚会
         撰并書
            文学博士   吉沢義則
                                    石工山本鶴次郎
調 査2002年2月13日
備 考追加建立された副碑がある/SA002宮本・吉岡決闘地と並び立つ

位置図
位置図

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