宮本・吉岡決闘地

SA002

みやもと・よしおかけっとうのち
石碑(0028266)石碑周辺(0028267)

 慶長9(1604)年,剣客宮本武蔵(1584〜1645)が,吉岡又七郎およびその門弟とこの地一乗寺下り松で決闘したと伝える。この石標はその跡地を示すものである。ただし,江戸時代の地誌類にはこの逸話を記すものはなく,竹村俊則「宮本武蔵決闘地 一乗寺下り松について」(『土車』24号)は江戸時代の随筆「古老茶話」に依り北野一条下り松を推し,これが一乗寺下り松と誤って伝えられたとする。
 表面に名を記す堀正平(1888〜1963)は,大日本武徳会武術教員養成所を出て,各地で剣道教師を勤めた武道家。建碑者堀翁は正平の妻。

所在地左京区一乗寺花ノ木町
位置座標北緯35度02分37.5秒/東経135度47分36.6秒(世界測地系)
建立年1921年
建立者堀翁
寸 法高188×幅67×奥行15cm
碑 文
[北]
宮本
         決闘之地
吉岡
         剣道師範堀正平書並刻
[南]
慶長九年宮本武蔵吉岡清十郎ト蓮台野ニ於テ剣術ヲ
試ミテ之ニ勝チ又其弟伝七郎ト洛外ニ出テ雌雄ヲ争
ヒ一撃ニシテ之ヲ斃ス是ニ於テ吉岡ノ門人恨ヲ含ミ
清十郎ノ子又七郎ト謀リ試合ニ名ヲ仮リ数十人兵仗
弓箭ヲ携ヘテ此所ニ会ス武蔵又七郎ヲ斬リ其徒党ノ
者ヲ追退ケ悠然トシテ洛陽ニ帰ルト云
   大正十辛酉年                  堀      翁女建之
調 査2002年2月13日
備 考SA003大楠公戦陣蹟と並び立つ

位置図
位置図

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