所在地 | 西京区大原野上羽町(JA京都研修センター内) |
位置座標 | 北緯34度56分46.3秒/東経135度41分37.4秒(世界測地系) |
建立年 | 1920年 |
建立者 | 川岡村作人組合 |
寸 法 | 高約300×幅147×奥行20cm |
碑 文 | |
| [西] |
| 興産紀功之碑【題額】 |
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| 従二位勲一等法学博士子爵平田東助題額 |
| 我が国刻下の急務は国産を奨励し以て殖産興業の実を挙くるより大な |
| るはなし我が京都府下に於ける大麦ゴルデンメロン栽培の如き最も好 |
| くこの目的に適へるものと謂ふへし抑も本府に於て始めて之を栽培し |
| たるは明治二十二三年の頃にして当時世間その用途を知るもの少かり |
| しに大阪麦酒株式会社即ち今の大日本麦酒株式会社吹田工場に於て之 |
| を用ひ麦酒を試醸して好成績を得たるより葛野郡川岡村の有志者作人 |
| 組合を組織し会社と特約を結ひてその収穫物を供給せり爾来近郡村の |
| 之に傚ふもの続出し拮据経営幾多の障礙を排して漸次隆盛を致し会社 |
| に於ても之か保護奨励に努め雨々相俟ちて栽培額年毎に増加し葛野乙 |
| 訓両郡を中心として隣接郡村並に他府県に及ひ現今吹田工場に於ける |
| 使用石数四万石の四分の三以上を充たすに至れり之をその原料の殆ん |
| と全部を外国に仰きたる当時に比すれは転た隔世の感あり本府の農家 |
| は之か為に産を興せるもの尠からす而かも地方に於ては一大特産とな |
| り会社も亦国産奨励の美を成すを得たるはこれ偏に各町村理事者の勧 |
| 誘奨励と当業者の奮勉努力とに因るものにしてその功績偉大なりと謂 |
| ふへし頃日有志者相謀りその起原地たる川岡村に碑を建てゝ永く事蹟 |
| を後世に伝へんとし余に文を嘱す余多年府下農事指導の任にありしを |
| 以て誼辞すべからす敢て不文を顧みすその大要を叙す |
| 大正九年五月 従四位勲四等山田登代太郎* |
| 山本#定書丹 |
| 芳村茂承刻 |
| [南上段] |
| 明治廿五年綴喜郡人田宮龍太郎君篤志研究農事選択麦種 |
| 之良者且改耕種之法以図其収益之多川岡村人数名試用其 |
| 法果大有験於是明治廿九年川岡村農会長塩田助右衛門君 |
| $之勧奨大%排斥区々異説遂与衆結設麦作協同之一団以 |
| 興農産之公益人僉徳之勒石永紀其功績云 |
| 大正九年十月廿四日 建設発起者 川岡村作人組合 |
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| 賛成者 |
| 大日本麦酒株式会社 向日町農会 |
| 永守組合 上久世組合 |
| 中久世組合 嵯峨村農会 |
| 乙訓村農会 梅津村農会 |
| 山口組合 桂村農会 |
| [南下段] |
| 昭和三十二年三月九日この地に移転竣工 |
| (川岡) |
| 京都府麦酒麦耕作組合連合会 |
| 平成三年十二月四日この地に再移転竣工 |
| 京都府農業協同組合中央会 |
碑文の大意 | 南面上段の碑文はここをクリック |
調 査 | 2002年2月18日 |
備 考 | 西山別院時代の写真(1986年撮影/碑は右端/左端は阪急桂駅)はここ |