興産紀功碑 南面上段碑文
明治25年,綴喜郡の住人田宮龍太郎さんは農業研究に励み,麦の優れた種を選び,耕作法を改良し収益を増加させようとした。川岡村の住人数名が田宮氏の方法を試み,非常に良い結果を得た。そこで明治29年に川岡村農会長塩田助右衛門さんはこの方法を奨励し,まちがった説を排し,みんなで麦作を協同で行う組織を作り,生産を増大させ世の益となるようにした。関係者はその功績を讃えるために石碑を建てることにした次第である。