施薬院協会跡

NA148

せやくいんきょうかいあと
石碑(0027188)石碑周辺(0027189)

 施薬院は,奈良・平安時代の貧民救済施設の名称。明治30(1897)年に安藤精軒(1835〜1918)が同名の私立病院を知恩院山内の法徳院に開設し,慈善事業として無料で診察をしていた。しかし経済的に行き詰まり、明治36(1903)年12月に京都府・京都市・京都医会が合同で施薬院協会を設立し,知恩院山内の入信院で救治療養を行った。その後,大正4(1915)年9月には病院跡であったこの地に移転し、大正14年に財団法人となる。昭和16(1941)年に厚生病院と改名したが,戦争により医療施設の強制買い上げがなされ,昭和19年10月に幕を閉じた。その後,この地は京都市立中央病院となっていたが,昭和56(1981)年4月に社会教育総合センターとなり、現在は京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)となっている。

所在地中京区丸太町通七本松西入北側(京都アスニー内)
位置座標北緯35度01分08.5秒/東経135度44分17.4秒(世界測地系)
建立年1981年
建立者
寸 法高23×幅46×奥行46cm
碑 文
[東上]
           施薬院協会跡
(大正4年9月〜昭和19年10月)
    施薬院協会は、施薬院の
    伝統を受け継いで、博愛
    慈善の精神に基づき傷病
    者の救治療養にあたった
         昭和56年4月建立
調 査2006年10月20日
備 考平安宮造酒司倉庫跡(NA146)平安宮造酒司倉庫跡(NA147)と並び立つ

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