竹間小学校・竹間幼稚園の碑NA121 |
ちくかんしょうがっこう・ちくかんようちえんのひ |
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竹間小学校は明治2(1869)年上京第二十一番組小学校として創設された。平成5(1993)年,京都市立富有小学校と統合し,京都市立竹間富有小学校と改称。さらに平成7年に梅屋・龍池・春日小学校と共に統合し,富有小学校の地に御所南小学校ができた。
竹間幼稚園は 明治18(1885)年竹間小学校に幼児保育科として創設され,明治42(1909)年に廃止となったが,昭和30(1955)年に再開園した。平成8(1996)年京都市立中京もえぎ幼稚園に統合された。この石標は,竹間小学校・竹間幼稚園の跡を示すものである。 |
| 所在地 | 中京区東洞院通竹屋町下る東側 |
| 位置座標 | 北緯35度00分56.2秒/東経135度45分39.3秒(世界測地系) |
| 建立年 | 2001年 |
| 建立者 | 京都市教育委員会 |
| 寸 法 | 高61×幅120×奥行45.5cm |
| 碑 文 | |
| [南西] | |
| (校章)竹間小学校 | |
| (園章)竹間幼稚園 の碑 | |
| 竹間小学校は明治二年 全国に先駆けて | |
| 上京第二十一番組小学校として創設され | |
| 幾多の変遷を経ながら 昭和二十二年には | |
| 京都市立竹間小学校 平成五年には | |
| 京都市立富有小学校と統合によって | |
| 京都市立竹間富有小学校と改称し | |
| 開校以来八千有余名の心豊かで 有為な | |
| 卒業生を輩出した 平成七年三月 京都の | |
| 未来を担う子どもたちの教育充実を願う | |
| 地域の人々の熱意と支援のもと統合校である | |
| 京都市立御所南小学校にその使命を引き継ぎ | |
| 輝く伝統と歴史の幕を閉じた | |
| 竹間幼稚園は 明治十八年 竹間小学校に | |
| 幼児保育科として創設され 京都における | |
| 幼児教育の先駆けをなした 明治四十二年に | |
| 廃止となったが 幼児教育を再開させるため | |
| 昭和三十年に開園し以来二千余名の園児が | |
| 巣立った 平成八年三月 地域における幼児 | |
| 教育の充実 公立幼稚園の活性化を願う | |
| 地域の人々の熱意と支援のもと統合園である | |
| 京都市立中京もえぎ幼稚園にその使命を | |
| 引き継ぎ 輝く伝統と歴史の幕を閉じた | |
| 平成十三年三月 | |
| 京都市教育委員会 | |
| [北東] | |
| 竹間幼稚園のうた | |
| 作詞 飯島 敏子 | |
| 作曲 川澄 健一 | |
| 一 りんごのほっぺが | |
| かけてきた | |
| まあるいほっぺも | |
| かけてきた | |
| いつでもとんとん | |
| おともだち | |
| なかよしちっかん | |
| ようちえん | |
| 二 くりくりおめめの | |
| だれかさん | |
| しくしくおめめの | |
| だれかさん | |
| いつでもとんとん | |
| おともだち | |
| なかよしちっかん | |
| ようちえん | |
| 竹間小学校 校歌 | |
| 作詞 伊吹 武彦 | |
| 作曲 福本 正 | |
| 一 伸びていく 伸びていく | |
| 竹のこころよ | |
| いきいきと 自信にみちて | |
| きょうもまた ああ光をめざす | |
| 二 伸びていく 伸びていく | |
| 竹のつよさよ | |
| あすの日に もとめてやまぬ | |
| 大空の ああ ゆめこそはるか | |
| 三 伸びていく 伸びていく | |
| 竹のすがたよ | |
| 正しさを つらぬく「今」の | |
| よろこびは ああ未来をてらす | |
| 四 古いみやこ 御所のみなみに | |
| 新しい いのちをつくる | |
| ぼくの わたしの竹間校! | |
| 竹間富有小学校 校歌 | |
| 作詞 渡辺 昌嗣 | |
| 作曲 塩見 幸男 | |
| 一 御所の緑が陽に映えて | |
| 澄んだ歌声こだまする | |
| 楽しい学校つくるため | |
| 共に仲よく励みあい | |
| 学びの力高めよう | |
| いそしむみんなの竹間富有校 | |
| 二 比叡の峰を仰ぎ見て | |
| 若い足音響きあう | |
| 明るい学校つくるため | |
| 共に優しく助けあい | |
| 心に花を咲かせよう | |
| はばたくみんなの竹間富有校 | |
| 調 査 | 2014年8月13日 |
| 備 考 | 吉益東洞宅蹟(NA062)と並び立つ |
| 位置図 | |
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