吉益東洞宅蹟

NA062

よしますとうどうたくあと
石碑(0005590)石碑周辺(0005595)

 吉益東洞(1702〜73)は,安芸出身で元文3(1738)年京都に移り,古医方をもって医者となった。不遇であったが,解剖をして有名になった山脇東洋(1705〜62)に見出された。その学説は,万病一毒説と親試実験にあって,実験医学の道を切り開いた。この石標は,吉益東洞宅の跡地を示すものである。なお,東洞の号は東洞院通に面して住していたことに因む。

所在地中京区東洞院通竹屋町下る東側(竹間公園内)
位置座標北緯35度00分56.7秒/東経135度45分39.8秒(世界測地系)
建立年1929年
建立者京都史蹟会
寸 法
碑 文高98×幅18×奥行18cm
[南西]
名医   吉益東洞宅蹟
[南東]
昭和四年一月
[北西]
京都史蹟会建
調 査2002年2月5日
備 考
備 考竹間小学校・竹間幼稚園の碑(NA121)と並び立つ

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