三之船入跡NA077 |
さんのふないりあと |
高瀬川は,江戸初期の豪商角倉了以(1554〜1614)素庵(1571〜1632)父子によって開鑿され,京都の経済に重要な役割を果たした。高瀬川の舟入(船入)は荷物の積み下ろしと船の方向転換の場所で,古地図などによれば開鑿当初は二条〜四条間に7か所作られ,17世紀末には9か所に増え,江戸時代中期には再度7か所に減少した。現在は一之船入だけが残る。この碑は当初7か所時代の三番目の舟入を表示したが,移設されて現在では9か所時代の三番目の舟入跡を表示するものである。 |
所在地 | 中京区木屋町通御池下る西側 |
位置座標 | 北緯35度00分37.1秒/東経135度46分13.5秒(世界測地系) |
建立年 | |
建立者 | |
寸 法 | 高73×幅15×奥行15cm |
碑 文 | |
[東] | |
三之船入跡 | |
[西] | |
寄贈京都洛中ロータリークラブ | |
[上面] | |
→【尖端西向】 | |
調 査 | 2009年11月26日 |
備 考 | 最初木屋町通三条上る西側に建立されたが2009年11月に現在位置に移設された/移設以前のデータはこちら |