三之船入跡 ■■旧データ■■NA077 |
さんのふないりあと |
高瀬川は,江戸初期の豪商角倉了以(1554〜1614)素庵(1571〜1632)父子によって開鑿され,京都の経済に重要な役割を果たした。高瀬川の船入は二条〜四条間に9カ所作られ,荷物の積み下ろしと船の方向転換の場所であった。現在は一之船入だけが残る。三之船入は加賀藩邸の南側にあった。この石標は高瀬川三之船入の跡を示すものである。 |
所在地 | 中京区木屋町通三条上る西側 |
位置座標 | 北緯35度00分22.1秒/東経135度46分23.1秒(日本測地系) |
建立年 | |
建立者 | |
寸 法 | 高78×幅15×奥行15cm |
碑 文 | |
[東] | |
三之船入跡 | |
[西] | |
寄贈 京都洛中ロータリクラブ | |
調 査 | 2002年2月5日 |
備 考 |