二之船入跡

NA072

にのふないりあと
石碑(0028114)石碑周辺(0028115)

 高瀬川は,江戸初期の豪商角倉了以(1554〜1614)素庵(1571〜1632)父子によって開鑿され,京都の経済に重要な役割を果たした。高瀬川の舟入(船入)は荷物の積み下ろしと船の方向転換の場所で,古地図などによれば開鑿当初は二条〜四条間に7か所作られ,17世紀末には9か所に増え,江戸時代中期には再度7か所に減少した。現在は一之船入だけが残る。この碑は当初7か所時代の二番目の舟入を表示したが,移設されて現在では9か所時代の二番目の舟入跡を表示するものである。

所在地中京区木屋町通御池上る西側
位置座標北緯35度00分40.7秒/東経135度46分13.2秒(世界測地系)
建立年
建立者
寸 法高72×幅15×奥行15cm
碑 文
[東]
二之船入跡
[西]
寄贈京都洛中ロータリークラブ
[上面]
→【尖端西向】
調 査2009年11月26日
備 考最初木屋町通御池下る西側(現三之舟入跡の位置)に建立されたが2009年11月に現在位置に移設された/移設以前のデータはこちら

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