二之船入跡 ■■旧データ■■

NA072

にのふないりあと
石碑(0005671)石碑周辺(0005673)

 高瀬川は,江戸初期の豪商角倉了以(1554〜1614)素庵(1571〜1632)父子によって開鑿され,京都の経済に重要な役割を果たした。高瀬川の船入は二条〜四条間に9カ所作られ,荷物の積み下ろしと船の方向転換の場所であった。現在は一之船入だけが残る。二の船入は長州藩邸の南側御池通に面していた。この石標は高瀬川二之船入の跡を示すものである。

所在地中京区木屋町通御池下る西側
位置座標北緯35度00分25.9秒/東経135度46分23.6秒(日本測地系)
建立年
建立者
寸 法高77×幅15×奥行15cm
碑 文
[東]
二之船入跡
[西]
寄贈   京都洛中ロータリークラブ
調 査2002年2月5日
備 考

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