高倉宮趾NA060 |
たかくらのみやあと |
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| 高倉宮は,平安京左京三条四坊四町にあった後白河天皇の皇子以仁王(1151〜80)の御所。高倉小路に面していたため高倉宮と呼ばれた。「以仁王の変」の際,平氏追討の令旨を諸源氏に下した所。この石標はその跡を示すものである。 |
| 所在地 | 中京区東洞院通姉小路下る(こども相談センターパトナ前) |
| 位置座標 | 北緯35度00分34.8秒/東経135度45分39.8秒(世界測地系) |
| 建立年 | 1914年 |
| 建立者 | 初音学区有志者 |
| 寸 法 | 高143×幅99×奥行78cm |
| 碑 文 | |
| [西] | |
| 高倉宮趾 | |
| 公爵鷹司熙通書(印)(印) | |
| [東] | |
| 大正三年八月建之 | |
| 初音学区 | |
| 有志者 | |
| 調 査 | 2004年5月27日 |
| 備 考 | 明治天皇行幸所上京第二十九組小学校(NA061)と並び立つ |