藤原定家京極邸址NA040 |
ふじわらのていかきょうごくていあと |
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藤原定家(1162〜1241)は、京極邸に住んでいたことにより「京極中納言」と呼ばれた。定家は、九条家に出入りし良経(1169〜1206)や慈円(1155〜1225)の知遇を受け,後鳥羽院(1180〜1239)に見出されその歌風を大成させた。治承4(1180)〜嘉禎元(1235)年に及ぶ日記『明月記』を残す。その墨蹟も「定家風」と呼ばれ古筆として尊重された。 この石標は定家の京極邸跡を示すものであるが、誤解によるもの。正しくは一条京極で、そこにも石碑が建てられている(ka176藤原定家一条京極第跡)。 |
| 所在地 | 中京区寺町通二条上る西側 |
| 位置座標 | 北緯35度00分50.3秒/東経135度46分02.2秒(世界測地系) |
| 建立年 | 1916年 |
| 建立者 | 京都市教育会 |
| 寸 法 | 高122×幅18×奥行18cm |
| 碑 文 | |
| [東] | |
| 此附近 藤原定家京極邸址 | |
| [北] | |
| 寄附者 古梅園 | |
| [南] | |
| 大正五年十一月建之 京都市教育会 | |
| 調 査 | 2002年2月8日 |
| 備 考 |