所在地 | 上京区寺町通今出川下る西側(京極小学校前) |
位置座標 | 北緯35度01分38.7秒/東経135度46分03.9秒(世界測地系) |
建立年 | 令和4年 |
建立者 | 公益財団法人古代学協会 |
寸 法 | 高99cm×幅15cm×奥行15cm |
碑 文 | |
| [東] |
| 此附近 藤原定家 一条京極第跡
|
| [北] |
| 令和四年七月 |
| 公益財団法人古代学協会建之 |
| [解説板] |
| このふきん |
| 此附近藤原定家一条京極第跡 |
| さだいえ |
| 藤原定家(通称「ていか」)(応保二年 |
| 〔一一六二〕〜仁治二年〔一二四一〕は |
| 鎌倉時代前期の貴族で歌人。父は歌人 |
| としなり(しゅんぜい) ごんのちゅうなごん |
| の俊成。古稀過ぎて権中納言に任じら |
| みょうじょう |
| れ、翌年に出家(法名は明静)した。 |
| かせい たた ちょくせんしゅう |
| 和歌の世界では「歌聖」と讃えられ、勅撰集の撰者もつとめ」 |
| た。古典の研究者でもあり、『源氏物語』の校訂に優れた業」 |
| めいげつき |
| 積を残した。日記『明月記』はこの時代の基本史料で、その」 |
| ためすけ れいぜいけ |
| 自筆本が、孫の為相を始祖とする冷泉家(現在の当主で二十」 |
| 五代目)に伝存する。 |
| いちじょうきょうごくてい |
| 「一条京極第」は定家の晩年の邸宅で、彼は亡くなるまで」 |
| おぐらひゃくにんいっしゅ へんさん |
| ここで過ごした。定家は『小倉百人一首』の原型の編纂でも」 |
| 知られるが、その作業の主要 |
| な部分はここで行われた可能 |
| 性が高い。その所在地は、平 |
| ひがしきょうごく |
| 安京の一条大路と東京極大路 |
| の交差点の東北辺り、つまり |
| 現在の京極小学校の西半部ま |
| たはその北側の住宅地と推定 |
| される。 |
| 令和四年七月 公益財団法人古代学協会設置 |
| *藤原定家の肖像画と一条京極第跡の位置図が掲示されている。 |
調 査 | 2023年4月27日 |
備 考 | 解説板は,石碑の南側に立てられている。/除幕は2022年7月22日 |