蓮月尼碑

KI072

れんげつにのひ
石碑(0029101)石碑周辺(0029102)

 歌人太田垣蓮月(1791〜1875)は,名を誠といい,夫・子供・養父に先立たれ,33歳で出家して蓮月尼と称した。孤独を求めて,生涯三十数回住まいを替えたが,晩年はこの地神光院境内に住み,歌を詠み陶器を焼き茶を点て,静かに余生を送った。この碑は蓮月尼を記念して建立されたものである。

所在地北区西賀茂神光院町(神光院内)
位置座標北緯35度03分35.5秒/東経135度44分36.8秒(世界測地系)
建立年1923年
建立者
寸 法高145×幅130×奥行40cm
碑 文
[北]
蓮月尼碑【題額】
蓮月老尼大田垣氏其先出於足利氏臣山名持豊之麾下但
馬竹田城主大田垣土佐守古朝也遠孫某移于因幡鳥取為
農数世之後至伴左兵門者有故携其妻名和氏来住於京師
後仕東山知恩院即尼之父也尼以寛政三年生於三樹坡初
名誠幼而聡慧善和歌傍及武技而家無男子母先父没父為
謀贅近江彦根藩士古川重二郎為婿焉文政六年重二郎病
没有子六人皆夭因又養同藩風見某子古敦者継家於是乎
尼與父共剃髪父号西心尼号蓮月與子古敦別居尼時三十
三歳自製陶器々必彫所自詠和歌鬻以給焉以器皆有別致
人争賞之蓋以此養親天保三年父亦病没享年七十八尼哀
痛以越年云遂決然避世之喧囂結茅於東山或寄寓廃寺一
鍋一嚢自晏如也後遂住西賀茂於神光律院之傍以終世明
治八年十二月十日病没享年八十五葬於村中之西隅尼為
人謙遜淡于名利聡慧而若無能者居常以賑救貧民為楽没
後不留一長物世人呼為陰徳尼良有以也
 明治十年三月     富岡百錬鉄斎
大正十二年癸亥四月神光前住現勧脩門跡大僧正大円欽
写蓋予従幼年六才至十七才間在老尼之膝下受教養浴慈
愛恰如母矣偶有志士建碑之議依旧縁執筆云爾
[南]
渡辺権三郎
吉田源助
谷川茂次郎
内藤巳之助
長沢員矩
森保四郎
碑文の大意ここをクリック
調 査2012年5月23日
備 考碑文の前半は鉄斎が明治10年に描いた蓮月肖像の賛をそのまま使っている

位置図
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