本尊美君碑KI071 |
ぽんそんびーくんのひ |
ポンソンビー(Richard Arthur Brabazon Ponsonby-Fane,1878〜1937)はイギリスの日本学者。最初香港総督の秘書になり,昭和天皇が皇太子時代,渡欧(1921年)の途中で香港に立ち寄った際には通訳を勤めた。のち来日し,1924年には京都に居を定め,京都府立第一中学の英語教師の職につき,神道・神社を研究した。京都では上賀茂神社の社家町に和風の家を新築した。服装・食事とも和風を通し,みずから「本尊美利茶道」と名のった。 |
所在地 | 北区西賀茂鎮守菴町(西方寺内) |
位置座標 | 北緯35度03分31.9秒/東経135度44分23.9秒(世界測地系) |
建立年 | 1938年 |
建立者 | (友人) |
寸 法 | 高120×幅85cm |
碑 文 | |
[東] | |
本尊美君碑 | |
【以下3行題額】 | |
RICHARD ARTHUR BRABAZON | |
PONSONBY-FANE | |
1878-1937 | |
[西] | |
英国法学博士本尊美利茶道君倫敦人系出名 | |
族以蒲柳質蚤遊海外其在香港任総督秘書兼 | |
大学講師 今上尚在東宮航欧通其地侍駕通 | |
訳以功贈勲四等君已屡次来朝因慕我国情之 | |
美大正八年始往東京遂徙京都君通暁国語校 | |
覈国史足迹殆遍海内於皇室制度皇陵神社神 | |
道之等攷究闡明尤致其力多所論著博覧卓識 | |
学者推之君恭倹寡欲清痩如鶴平生起居飲食 | |
衣服尽由吾国俗視門下猶子終身不娶昭和十 | |
二年十二月十日病歿於上賀茂第享年六十 | |
昭和十三年十一月友人建之 | |
碑文の大意 | ここをクリック |
調 査 | 2012年2月20日 |
備 考 | 佐藤芳二郎編『ポンソンビ博士の真面目』(1958年本尊美記念会刊)によれば本碑は鈴木虎雄撰・山本安之助書で1939年4月に西方寺に建てられた/故蓮月尼紀念碑(KI073)と並び立つ |
位置図 | |