所在地 | 北区紫野今宮町(今宮神社内) |
位置座標 | 北緯35度02分44.4秒/東経135度44分30.2秒(世界測地系) |
建立年 | (1903年カ) |
建立者 | (有志) |
寸 法 | 高205×幅105×奥行25cm |
碑 文 | |
| [東] |
| 稲田玉鳳翁碑【篆額】 |
| 従四位勲三等法学博士木下広次篆額 |
| 翁以天保二年六月生于京都西陣通称忠七【号】玉 |
| 鳳幼学画泉春園春園横山華山■■■■■■故 |
| 翁研鑚有年終究其奥応用■■■■■■織物紋 |
| 様声名日隆【西陣】■■■【之】■【興】■【俟於翁】大矣明 |
| 治二十【三年六月十六日】■六十葬於紫野大徳寺 |
| 内正【受院翁性温】■【能接人】嘗侍兄病【看護周到】官 |
| 旌【賞之今】■【壬寅】■■【十有三回忌翁之旧知】挙捐 |
| 貲建【碑云】 |
| 明治三十五年十一月■■■■■■■■■■書 |
| [西] |
| 西村治兵衛 宅間佐助 長谷川佐助 竹入藤次郎 |
| 中村半兵衛 諏訪栄三郎 加藤安兵衛 土田貞麿 |
| 発 矢代庄兵衛 今井林吉 藤岡常治郎 森元太郎 |
| 清水半兵衛 吉田善助 巽 佐七 稲田初次郎 |
| 谷 新七 織田和三郎 辻川新三郎 勝野立雄 |
| 起 山口源兵衛 岡沢兼治郎 河那辺喜三郎 松井■右衛門 |
| 橿本 孝 山岸重助 平井弥七 小野 仲 |
| 山口源兵衛 青木松治郎 井上力造 後藤 福 |
| 人 津田栄太郎 藤井伊助 山下槌之助 巽 ■■ |
| 岸田万治郎 中村藤兵衛 伊藤彦兵衛 巽 栄助 |
| 矢代仁兵衛 長谷川■助 吉川庄兵衛 中井忠次郎 |
| 鳥居喜兵衛 大川半兵衛 小谷利兵衛 外有志者 |
| 今西平兵衛 久江長兵衛 小野平七 |
| 山田九一郎 井出安兵衛 西村常次郎 |
| 佐佐木清七 長谷川杢次郎 俣野喜助 |
| 伊達虎一 池田有蔵 細井恒次郎 森川音吉刻 |
| [副碑東] |
| 顕 彰 |
| 稲田玉鳳翁の記念碑が此処紫野今宮 |
| 神社境内の地に移されるに当り 改め |
| て翁の遺業を偲ばんとするものである |
| 西陣織の紋様は 明治中期までは古 |
| 典織物を主軸とし 新しい紋様は西陣 |
| の長い伝統を破壊するものとして忌避 |
| された 然し其の後外国製織機の普及 |
| と織物需要の増大は 当然意匠の面で |
| も何等かの改革を求めるに至った 翁 |
| は業界の此の熱望に応えて西陣織に美 |
| 術の類型を採り入れ 織物図案の高度 |
| 化と多様化の基礎を造られたのである |
| まさに稲田玉鳳翁は我が国織物図案 |
| の創始者と言うべきである |
| 西陣業界の過去を顧み西陣織の未来 |
| を展望する時 我々は改めて翁の偉大 |
| な業績を顕彰し 将来への発展を期し |
| たいと思う |
| 昭和四十年十月一日 |
| 京都市長 高山義三 |
| [副碑東] |
| 【建碑有志者名略】 |