稲田玉鳳翁碑 碑文の大意 |
玉鳳翁は天保2年(1831)6月に京都西陣に生まれた。通称は忠七で玉鳳は号である。子供のころ画を泉春園に学んだ。春園は横山華山(以下不明)。翁は長年研鑽を積み,絵画の奥義を極めた。織物図案の名人として著名になり,西陣の織物図案は玉鳳翁が大成したといってよい。明治23年6月16日,享年六十で死去。紫野大徳寺の正受院に葬られた。 玉鳳翁は温厚な人あたりの良い性格であった。兄が大病に倒れた時,これを献身的に看護したことで,褒賞を受けたほどである。ことし壬寅の年(明治35年)は十三回忌にあたる。旧知の者が費用を出し合い碑を建てる次第である。 |