三条実美頌徳碑

KA165

さんじょうさねとみしょうとくのひ
石碑(0029346)石碑周辺(0029347)

 三条実美(1837〜1891)は幕末・明治の政治家。公家の三条家に生まれ,幕末の尊王攘夷運動に参画した。文久3(1863)年8月18日の政変で,他の6名の公家とともに長州へ退去した(七卿落ち)。維新後は明治政府の顕官を歴任した。明治維新の功臣と見なされ,その葬儀は明治天皇の命により国葬とされた。
 本碑の立つ梨木神社はもと公家町の地で,三条家の邸宅があったところ。三条実万(実美の父)と実美を祭神とする旧別格官幣社である。

所在地上京区寺町通広小路上る西側(梨木神社内)
位置座標北緯35度01分26.5秒/東経135度46分02.4秒(世界測地系)
建立年1892年
建立者(有志)
寸 法高210×幅80×奥行40cm
碑 文
[東]
頌徳碑【篆額】
明治二十四年二月十八日内大臣正一位大勲位三條公薨越八日   勅賜国
葬葬武蔵国豊島郡豊島岡國道辱公知久矣而身在任地不得会葬於是與諸
子謀修祭霊山来拝者万餘人咸曰公徳不可以不頌乃建石于公生誕之地梨
木神社側勒以辞
天降偉人以佑中興克肖乃父志気恢弘時会否運辺境不寧風魚有警民人戦
兢      帝曰噫*統在朕躬寸壌尺地不#虜戎公也奮励伝   詔幕府幕府偸
安心懾気沮      帝誓祖宗欲張我武公賛神算肱股心膂廟議仲変公遷西州
六経寒暑身如累囚天運循環其命維新公帰京師戊辰之春      先帝既崩   
   今上紀元公能竭心克寛克仁出鎮東武皇威発揚東北平定干戈爰蔵既戡
禍乱與民更始海陸軍備文武済美公執大政二十餘年功継鎌足徳比道真輔
翼      聖徳如師如親万世模範千秋名臣天命靡当公薨何速      聖上宸悼
廃朝三日孰曰公亡公徳不滅嗚呼公徳山高海濶
参謀総長兼議定官兼神宮祭主陸軍大将大勲位熾仁親王篆額京都府知事
従三位勲三等北垣國道撰并書明治二十五年三月建
[北]
                     河田景福
発起人総代
                     中川武俊
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調 査2014年3月4日
備 考


碑文中「*」字  碑文中「#」字  

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