和魂漢才碑KA138 |
わこんかんさいのひ |
この碑は『菅家遺誡』から「和魂漢才」の語を含む二か条を記したものである。『菅家遺誡』は菅原道真の作といわれてきたが,現在は後世の偽作だとされている。「和魂漢才」の語は幕末から明治にかけて流行語となり,国学者のスローガンになった。碑文を揮毫したのは菅原家の後裔である東坊城聰長。。北野天満宮には梅苑内紙屋川畔にも明治41年に建てられた和魂漢才碑がある。同様の碑は全国に建立され,太宰府天満宮(安政5年建)や大阪天満宮(嘉永5年建)の碑が著名である。 |
所在地 | 上京区馬喰町(北野天満宮内) |
位置座標 | 北緯35度01分52.4秒/東経135度44分07.4秒(世界測地系) |
建立年 | 嘉永元年 |
建立者 | 座田維貞 |
寸 法 | 高122×幅102cm |
碑 文 | |
[南] | |
凡神国一世無窮之玄妙 | |
者不可敢而窺知雖学漢 | |
土三代周孔之聖経革命 | |
之国風深可加思慮也 | |
凡国学所要雖欲論渉古 | |
今究天人其自非和魂漢 | |
才不能*其#奥矣 | |
嘉永元年四月応右兵衛大尉紀維貞需 菅原聰長 | |
右遺誡要文二則宜為後世亀鑑■請其三十一世東坊城 | |
黄門公書属慶延坊卜 神意維卜協便勒石建之廟東 | |
以示諸人云 嘉永戊申初夏 右兵衛大尉紀朝臣維貞 | |
碑文の大意 | ここをクリック |
調 査 | 2008年3月22日 |
備 考 | 平成17年に今見るような覆屋が作られた/露出していた時の写真(2002年撮影)はここ |
碑文中「*」字 |
碑文中「#」字 |
位置図 | |