赤穂義士四十六士遺髪塔跡

KA128

あこうぎししじゅうろくしいはつとうあと
石碑(0026932)石碑周辺(0026936)

 瑞光院は,慶長16年(1611)に歿した浅野長政の別荘を,山崎家盛が寺院としたもの。臨済宗大徳寺派。後に赤穂城主・浅野長矩(内匠頭)が夫人の縁故で壇家となった。長矩の切腹後にはその供養塔をつくり,元禄15年(1702)の浪士討入の後も、大石良雄をはじめとする四十六士の遺髪を埋葬した塔をもうけて供養した。昭和37年(1962)に山科区安朱へ移転。遺髪塔も遷された。この石標は,赤穂浪士の遺髪塔があった瑞光院の跡を示すものである。

所在地上京区堀川通紫明下る西側
位置座標北緯35度02分15.6秒/東経135度45分05.5秒(世界測地系)
建立年2005年
建立者
寸 法高135×幅131×奥行32cm
碑 文
[東]
瑞光院
赤穂義士
   四十六士遺髪塔跡
                  瑞光院主英覚書
[西]
(未調査)
調 査2006年9月15日
備 考建立年は平成17年12月13日付『京都新聞』による。

位置図
位置図

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