祐井碑

KA112

さちのいのひ
石碑(0014894)石碑周辺(0014873)

 この地は明治天皇の生母一位局の実家中山家の旧地で,嘉永6年(1853)夏の日照りに井戸を掘ったところ清水が涌き出た。前年に生れ中山第で養育されていた明治天皇の幼名である「祐宮」から孝明天皇が井戸を「祐井」と命名した。この石碑は祐井の所在を示すものである。なおこの井戸を明治天皇産湯の井と諸書に記すのは碑文による限り誤りである。

所在地上京区京都御苑(中山家旧宅邸内)
位置座標北緯35度01分40.1秒/東経135度45分52.5秒(世界測地系)
建立年1877年
建立者中山忠能
寸 法高146×幅157×奥行30cm
碑 文
[南]
祐井碑
井在   皇宮艮位中山氏旧第即   今上皇帝降誕
之地也嘉永六年夏京師大旱第内諸井皆涸時
上生而二年尚以幼沖在第官因令鑿新井於此深
三丈八尺清泉忽涌出第内頼得蘇息者凡五十有
餘人事聞   先帝大喜錫号曰祐井蓋祐者   上幼
名也後三年   上遷入   禁内尋承大統於戲斯泉
之出固由   皇徳所致而天降此嘉瑞者亦豈偶然
哉抑   上之初即位首革武門専制之宿弊誕敷維
新之政宇内民庶洽然霑   皇沢者亦猶当時挙第
頼此井而蘇息也其徴応之理在今日弥験而   先
帝之錫嘉号亦非徒爾也矣頃日従一位中山忠能
公立石於井側欲記其事而永伝不朽焉徴文正直
敬記所聞如此云
明治十年七月   京都府知事従五位槙邨正直撰
                     京都府四等属      中村勤謹書
[北]
愛宕郡白川村   岡野伝三郎刻
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調 査2002年12月24日
備 考

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