祐井碑 碑文の大意 |
この井戸は御所の艮(東北)の中山家の跡にある。中山家は今上天皇(明治天皇)誕生の地である。嘉永6(1853)年の夏,京都は日照りに苦しみ,中山家の井戸はすべてかれてしまった。この時明治天皇は二歳(数え年)。まだ幼いので母の実家中山家で養育されていた。朝廷では養育に支障がないように新しい井戸を掘ったところ清らかな水がわいて,五十餘人の者が生きかえる思いをなした。先帝(孝明天皇)はこのことを聞きとても喜ばれ,井戸に「祐井」と命名された。「祐」は明治天皇の幼名である。三年後(安政3年)生家中山家から御所に移り,それから慶応(1867)3年正月に即位された。 井戸から奇跡的に水がわいたのは天皇の徳が天を動かしたわけで,決して偶然ではない。明治天皇は即位されて,武家(徳川幕府)の政治をあらため維新の新政を行われた。人民は新しい政治の恩恵を受けて生きかえった。このことは祐井で中山家のひとびとが生きかえったのと同じようなことである。孝明天皇が井戸に名前をお付けになったのは無駄ではなかった。 最近,従一位中山忠能公が石碑を井のかたわらに建て,祐井の由来を後世に伝えようと計画し,碑文をわたし(筆者京都府知事槇村正直)に依頼された。そこで今まで聞いていることを記す次第である。 |