鵺池碑

KA068

ぬえいけのひ
石碑(0029119)石碑周辺(0029120)

 『平家物語』によると,近衛天皇(1139〜55)の代,毎夜黒雲が立ち込めて御所を覆い,天皇を怯えさせていた。源頼政(1104〜80)が,怪しい姿を発見し弓矢で射殺したところ,頭は猿,胴体は狸,尾は蛇,手足は虎,鳴き声がトラツグミ,という怪鳥鵺(ぬえ)であった。この碑は,鵺退治で使用した矢の鏃を頼政が洗ったと伝承される池跡を示すものである。なお,元禄13(1700)年に建てられた原碑が摩滅し,現在では北面の題額部に「鵺池碑」の3字が確認できるだけなので,昭和11(1936)年に復元碑が公園の北に隣接する鵺大明神社内に建てられた。碑文は復元碑による。

所在地上京区主税町(二条公園内)
位置座標北緯35度01分01.6秒/東経135度44分44.7秒(世界測地系)
建立年元禄13年(復原碑1936年)
建立者太田毎資(復原碑出水学区有志)
寸 法(原碑)高110×幅42×奥行18cm(復原碑)高158×幅72×奥行14cm
碑 文
[北]
鵺池碑【題額】
我源朝臣松平紀伊君在京之日家臣太田毎資亦来居焉其宅後有
一池曰鵺池俗伝以為頼政卿嘗滌射鵺鏃之地矣今毎資者道潅七
世之孫而頼政卿遠裔也故聞斯事喜適居其地且懼其就泯減因使
予録其事上石鳴呼追遠之心不亦美乎遂書銘曰
   怪鳥当射   志不可敵   休矣邦彦   其声太逖
      元禄庚辰三月望日                              松崎正祐記
[南]
此地古来称鵺池池辺有碑詳誌其伝説而及徳川氏執政柄地属所
司代之邸内以故当時所刊行名所誌之類或憚而不記焉維新之初
就邸址而置監獄猶用意於保存但碑石則風餐雨虐文字漸磨滅後
撤獄舎昭和九年新設二条公園之比至不可復読有志以為恨也偶
有元看守長青山咸懐氏在職之間手記原文両者相対照而主文始
歴如恨事乃除矣於是有志相謀更選碑石刻之以伝後世云爾
      昭和十一年三月望日                  出水学区建碑有志
碑文の大意ここをクリック
調 査2002年2月5日
備 考復原碑の画像はここ/公園再整備前の原碑の画像はここ(1998年4月撮影)/2005年3月に二条児童公園は二条公園として再整備され鵺池碑の原碑はほぼ同位置に再整備後も立てられている

位置図
位置図

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