戊辰役東軍戦死者慰霊碑HU183 |
ぼしんのえきとうぐんせんししゃいれいのひ |
この碑は鳥羽伏見の戦で激戦地となった宇治川堤千両松の地に立つ。もともと戊辰役東軍戦死者埋骨地(HU032)が明治40年に建立されたが,大正14年隣接地に京都競馬場が建設され,昭和42年に大駐車場が新設された。同時に駐車場と競馬場を結び京阪線を跨ぐ高架自動車道が付けられた。 俗伝によればこの高架橋建設時に埋骨地の碑を撤去したところ,工事現場に怪異が起きたので慰霊祭が行われ,埋骨地碑は元に戻されたという。確証はないがこの碑もその慰霊のために建立されたと思われる。 |
所在地 | 伏見区納所下野 |
位置座標 | 北緯34度54分35.1秒/東経135度43分43.1秒(世界測地系) |
建立年 | 1970年 |
建立者 | 中村勝五郎他 |
寸 法 | 高125×幅72×奥行10cm |
碑 文 | |
[南] | |
幕末の戦闘ほど世に悲しい出来事はない | |
それが日本人同族の争でもあり いづれもが | |
正しいと信じるまゝにそれぞれの道へと己 | |
等の誠を尽した 然るに流れ行く一瞬の時差 | |
により 或る者は官軍となり 或るは幕軍と | |
なって 士道に殉じたので有る 此の地に | |
不幸賊名に斃れたる 誇り有る人々に対し慰 | |
霊碑の建つるを見る 在天の魂以て冥すべし | |
昭和四十五年春 中村勝五郎識す | |
[北上段] | |
慶応四年戊辰正月 | |
伏見鳥羽の戦いに敗れ | |
ここ淀堤千両松に布陣 | |
し薩摩 長州の両軍と | |
激戦を交し 非命に斃 | |
れた会津 桑名の藩士 | |
及び 新選組 並びに | |
京都所司代見廻組の | |
隊士の霊に捧ぐ | |
昭和四十五年六月四日 | |
[北下段] | |
日本中央競馬主協会連合会長 中村勝五郎 | |
京都馬主協会長 樋口正一 | |
同 常務理事 松本英吉 | |
京都競馬場長 秋山忠利 | |
日本調教師会関西本部長 上田武司 | |
同 専務理事 福永幸夫 | |
調 査 | 2015年8月15日 |
備 考 |
位置図 | |