稲荷新道碑

HU162

いなりしんみちのひ
石碑(0028842)石碑周辺(0028843)

 稲荷神社(現伏見稲荷大社)への参詣道は,明治中期まで本町通(伏見街道)経由しかなく,参詣の便をはかるために,竹田街道勧進橋から稲荷神社裏門までの新しい参詣道が明治28(1895)年に開かれた。稲荷新道と呼ばれたこの参詣道は,大阪の実業家土井柾三の寄附により幅三尺の細道を二間に拡幅してつくられている。
 この碑は建立時には琵琶湖疏水稲荷橋西北詰にあり,竹田街道の新道起点には土井柾三により「稲荷さんけい道」と記す道標が設置された。本碑はのち撤去され長く行方がわからなかった。2002年に再発見され,缺損した下部を強化プラスチックで再現し,2004年4月に現在地に再設置された。

所在地伏見区深草下川原町
位置座標北緯34度58分08.5秒/東経135度45分46.8秒(世界測地系)
建立年1895年
建立者(伏見稲荷大社カ)
寸 法高約400×幅200cm(京都新聞電子版2004年4月9日付による)
碑 文
[西]
稲荷新道之碑【篆額】
稲荷神社は官幣大社にして信者全国に充満せり然るに参詣の道
路伏見街道只一筋のみなれは初午其他大祭の時不便いふへからす
爰に大阪の人土井柾三ふかくこれを患へ公衆のため本社裏門前より
竹田街道に達する此新道を開かんと主典桑田孝恒にはかりしに孝恒悦ひ
諾なひて官準を経土地購収の手数すへて百般の事は森守信大石長兵
衛等に委任し去年一月起工して今年二月に功を竣ふ此工費巨額
なりといへとも皆土井氏の負担なり抑土井氏は常に質素を旨とし
節倹を守り本社のためにはこれまて種々の寄附をなしこれを永遠
普及に供す加之汎く公衆の益をおもひ慈善を行ひ隠徳を積事枚
挙にいとまあらす嗚呼積善の家必余慶ありと古人の金言空し
からさるへしと云爾
      明治二十八年五月            稲荷神社宮司従六位近藤芳介撰
                                            同          禰宜従八位羽倉良豊書
                                            同          主典従八位桑田孝恒賛
[西]
【未確認】
調 査2011年1月1日
備 考本データの解説は碑の隣に設置された解説パネル,および京都新聞電子版2004年4月9日付の再設置記事に多くを負っている/新道開通以前の状況はここ(明治22年陸軍参謀本部二万分一仮製地図・新道の経路朱線は本サイト編者)

位置図
位置図

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