稲荷新道碑 碑傍解説パネル文
 この碑は明治二十八年、稲荷新道竣工を記念して、新道疏水運河稲荷橋西北詰に設置顕彰されたものである。その後何らかの理由により撤去されることになり、数奇な運命を辿りながら凡そ百年を経過した今日、縁あって京都在住の小谷隆一氏より大社へ寄進されたのである。然しこの碑は下部が欠落に及び、故にこれを復元し、稲荷新道ゆかりの地に再建したものである。

 抑京都は明治二十八年、奠都千百年の記念事業として第四回内国勧業博覧会を開催、それに伴い都市基盤整備事業が次々に展開され、近代化が強力に推進されたのである。鉄道の開通・琵琶湖疏水運河を利用した曳舟による物流の盛況、更に疏水による水力発電が開始され、その電力を利用して我が国最初の路面電車が開通し、大和街道勧進橋南詰に停車場が設置された。

 これら稲荷界隈の急激な変化に対し、道路網の整備は急を要した。大和街道から伏見街道に通じる稲荷参詣道は、当時幅員三尺(一米)の里道に過ぎず、当然のこと乍この道路幅では参詣道として、十分な対応は不可能であった。此処に於て、大阪在住の事業家で大社篤信者であった土井柾三氏が、巨額の私財を投じ、近隣土地所有者の協力を得て用地を買収し、幅員二間(四米)の道路に拡幅整備し、多くの参詣者の利便に供したのが、此の稲荷新道である。

 尚、今日此の道路は京都市道に編入されている。

   平成十六年三月

               伏見稲荷大社 宮司 坪原喜三郎 識