所在地 | 伏見区南浜町(京橋北詰東側) |
位置座標 | 北緯34度55分48.7秒/東経135度45分31.9秒(世界測地系) |
建立年 | 2009年 |
建立者 | 伏見観光協会・社団法人伏見納税協会青年部会 |
寸 法 | 高110×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
| [西] |
| 伏見口の戦い激戦地跡 |
| [北] |
| 平成二十一年十二月建之 |
| 伏見観光協会 |
| (社)伏見納税協会青年部会 |
| [副碑西] |
| 伏見口の戦い激戦地跡 |
| 江戸時代、京へ向かう高瀬舟、大坂へ向かう三十石船、山城へ向かう淀二十石」 |
| 船、宇治へ行く芝船など、千数百隻にもおよび舟運で賑わった伏見港の中心が」 |
| この京橋付近です。角倉了以による高瀬川の開削で、洛中と伏見が舟運で結ば」 |
| れるとさらに発展しました。ここから蓬莱橋北詰を結ぶ南浜の一帯には大名の」 |
| 宿泊する本陣が4軒、家臣が宿泊した脇本陣2軒をはじめ、39軒の旅籠が軒を」 |
| 連ねていました。江戸幕府は伏見を伝馬所として位置づけ、問屋場には人足100人、」 |
| 馬100頭が常時用意され、前の宿場から運ばれてきた公用の荷物を積み替え、次の」 |
| 宿場まで搬送するという継ぎ立組織がありました。一般の荷物を扱う馬借も旅人」 |
| や荷物で賑わっていました。橋の南詰には三十石船のように運上金によって」 |
| 幕府に公認された過書船を取り締まる「過書船番所」、一般の船を検閲する「船番所」、」 |
| 人足、駕籠、馬借の賃料などを掲示する「船高札場」などが設けられました。 |
| 幕末の慶応4(1868)年1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩」 |
| の先鋒隊約200名が大坂から船で伏見京橋に上陸。ここに伏見御堂を宿陣とし」 |
| て戦いました。伏見奉行所に陣を置いた幕府軍や新選組が民家に火を放ちながら」 |
| 淀方面へ敗走したので、このあたりの多くの民家が焼かれ、大きな被害を受けまし」 |
| た。 |
| 伏見観光協会 |
| (社)伏見納税協会 青年部会 |
| 平成21年12月 建立 |
調 査 | 2010年1月6日 |
備 考 | 副碑碑文本文は横書き・総ふりかな/ふりかなで注意を要するものはこのリスト |